さよならの境界線

不安定は相変わらずで、妙な焦燥と葛藤に押しつぶされそうになる毎日を送っているけど、少し紡ぎ出せたことがあって、それは『他人は他人、自分は自分』ってこと。今更過ぎて、何言ってんだと思うけれど、使い古されたこの言葉の意味をようやく理解し得たような気がする。手を抜くことやラクしようとすることばかりの人たちを見て、すごく苛々していて、何で私だけ必死になってやってんの、もっと闘おうよ(この時点で傲慢きわまりないのは百も承知なんだけど)と思う自分は、あれ何に対して怒りをぶつけているのかなって足元掬われた。私は自分のために働いてんだ。生徒のためとか、学校のためとか、そんな綺麗事言う気はさらさらない。「新しい自分が見たいのだ、仕事する」(河井寛次郎) 少しすっきりしたかもしれない。あー負の感情と向きあって、答えをみつけるのはしんどいなあ。(去年の今もそうだった気がする)