id:popplesさん。素敵なバトンをどうもありがとう。ぜひやらせていただきます。その読書量に毎日感服しています。

人が怒ったり、憤慨してたり、気分を慨していたりするのがすごく恐い。自分が原因だとびくびくおどおどしてしまう。自分が悪くなくても、相手がそう決め付けてしまえばそんな道理はまかり通らない。あれこれ気を遣って、気に病んで、もうこの関係は修復不可能なのではないかと思ってしまう。あーこれも小さいころのトラウマだ。齢22にもなってまだ引きずっているなんて。今日は週番で、校長に、ホールのごみを縛ってまとめて、コカコーラさんに持っていってもらうよう言ってくれと頼まれた。ごみの管理をしているのは、校務分掌でいうと保健環境係だ。だから、保健係の先生にそのように伝えた。「○○先生、ホールのごみって保健係の仕事ですか?ごみを捨てるよう頼まれたんですけど」私の言い方がまずかったのか、その先生は不満げな顔で「じゃやりますよ」と一言。ホールではごみ箱を蹴っ飛ばしながら、ごみをまとめて「この仕事、保健環境でやったことないですよ」と怒りをこめていい放つ。情けないかな、おろおろして私も手伝う。怒りの矛先が校長なのか私なのかよくわからないまま、咽喉に小骨が詰まったように気まずい雰囲気になる。 でももし私が逆の立場だったら、恐らく何の躊躇いもなく進んで引き受けただろう。仕事に対する価値観とか、捉え方の違いだ。でも相手が怒っているとすべて私の責任のように感じてしまう。こんな癖、いい加減直したい。

ようこそ先輩は武田双雲