自分の日記を読みかえすだけで、欝な気分が蘇る。
今日車の中で紡ぎだした思考→非難批判暴言を浴びせる生徒、そいつらに対して一個人としての感情レベルでは大嫌い。こういう仕事していなかったら絶対に付き合いたくないし関わりあいたくない。これは私個人の感情だからどうしようもできない。だって私は教師である前に感情を持った人間だもの。ただ、そいつらだって人間であって馬の合わない、そりの合わない、ただ単に何となくむかつく教師だっていて当然でそれはどうしようもないこと。
それがたまたま私だっただけのこと。それに生徒はそういう子ばかりじゃないもの。こちらの言うことを真剣に受け止めてくれる子もいるし、悩みを私に打ち明けてくる子もいる。こっちの方がはるかに多い。それに救われてる自分もいる。「救われてる」なんて言葉はベテランの先生からしたら、教師失格だろと言われそうだけれど私にとっては紛れもない事実。
人の放つ言葉に傷つかないなんて、無理だ。免疫の問題かもしれないけど、そんなのに私は慣れたくない。こういう感情があるからこそ、嬉しさとか楽しさだって敏感に反応することができるんだよ。

非難されてばかりじゃない。非難されてるこの私を支持してくれる人だっているんだから。
ただどの子も同じように扱うことだけは肝に銘じておかなければならない、これはこの仕事の鉄則。

現代アートの展示、市の美術館へ行く。何でもアリなんだなーって。。髪の毛を編んで作ったワンピースとか。上から吊るした紐にぶら下がって足を滑らせ、描いた作品とか(創作中のビデオ笑ってしまった。誰でもできそうなのに、作家も助手も真剣なのがまた滑稽で。)「これは芸術なのだ」と言ったもの勝ち。閃きアイディアの勝利。意外とわかりやすくて面白かったです。